繭から糸を取る機械が展示してあります。
糸繰とは、糸染で染め上がった綛状の糸を糸枠に巻き取り、整経あるいは横巻きの工程で仕事をスムーズに行えるように準備をする工程のことです。かつては「手動」で糸繰りが行われていましたが、明治時代にモーターを動力とする糸繰機が登場し、現在に至っています。
毎月第二土曜には製糸の実演を行います。
三角屋根の工場内には今も現役のイタリー式撚糸機や整経機が並んでいます。
整経は必要な本数の経糸(たていと)を、長さを揃えて織り機に巻き付ける工程です。織り上がる柄や意匠に応じて、経糸に色の違う複数の糸を使う場合は、デザインどおりに経糸を配列します。
仮織機や捺染台、力織機が展示してあり秩父銘仙の製造工程に触れられます。
秩父銘仙の最大の特徴である「ほぐし捺染」が、銘仙の大柄で鮮やかな柄を可能にしました。普通のプリントは布地に柄を切った型紙をあて、染め柄を出しますが、「ほぐし捺染」は糸のうちに染めます。表裏が同じように染色されるため、裏返しても同じように着れるのが最大の魅力です。
後継者育成講座で使用する織り機が並んでいます。ちちぶ銘仙館で使用している織り機は手動式です。「髙機(たかはた)」と呼ばれ、明治20年ごろまでは居座機(いざりばた)が主流でしたが、高機の導入でその生産量は増大しその後、モーターを動力とした織機の出現で、生産量は飛躍的に増加しました。
アンティーク銘仙やその他秩父の織物業に関する歴史的な資料が展示されています。
かつての秩父地域は秩父銘仙が産業の根幹をなし、大正時代には機械化が進み、織物工場は市内に500~600軒もあり、人口の約7割が織物に携わっていたとも云われています。
大正9年に秩父を訪れた歌人の若山牧水は、街中から機音が聞こえてきた様子を「秩父町 出はづれくれば 機織の 唄ごえつづく 古りし家並みに 」と歌われたほどでした。
アメリカ人建築家ライトが考案した大谷石積みの外装や昭和初期の特徴的な装飾との調和が建築的に非常に優れており、三角屋根の工場棟や渡り廊下も含め、2001年(平成13年)10月に国の登録有形文化財に登録されました。アーチ型の廊下で、記念撮影はいかがでしょうか?
秩父銘仙の着物や有名女優のポスター、貴重な資料等が展示されています。
ポスターには当時の人気女優を 起用していました。若かりし頃の佐久間良子さん、他にも若尾文子さん、池内淳子さんなど名立たる大女優がポスターに顔を連ね、当時の秩父銘仙の人気の高さが伺えます
秩父銘仙の生産が最盛期の頃は、デザインの元となる「型彫り職人」が100人以上居たと云われます。型紙は、柿渋で貼り合わせた専用の和紙にひとつひとつ手彫りします。その緻密さはまさに「職人技」です。
高機(たかはた)を使って本格的な手織り体験ができます。
手織り機というと難しそうですが、初心者の方でも簡単にコースターを織ることができます。世界で一枚だけの作品を作ってみませんか?
藍染の体験で世界でひとつのオリジナル製品が染め上がります。
埼玉県内で盛んな藍染は「武州正藍染」と呼ばれ、江戸時代後半にまで起源を遡ることができます。藍の葉から自然発酵させた染料により染めるのが特徴です。
手染めなので微妙な風合いがあり、使いこむほどに美しい色合いになり愛着のわく一品になります。
3年間で秩父銘仙を作る技術を習得する後継者育成講座を月の第2、3、4土曜日に開講しています。
2015年4月より5期生の講座が開講し、13名の生徒が技術習得に励んでいます。